実施日時:2018年7月16日(月・祝)
参加者:麻田・谷口 計2名
10時に山陽電鉄別府駅に集合(実際は梅田で合流)し、別府鉄道廃線跡を旧野口駅に向かって廃線跡探訪を開始しました。
昨年探訪した土山線の方は半分以上が道路に転用されていましたが、野口線の方は全区間遊歩道として整備されていました。
遊歩道が道路と交差するところ(旧踏切)では、意図的か撤去に手間が掛かるためかは不明ですが、レールの跡が所々残って
いました。
途中の旧円長寺駅跡は広場になっていて、一画には当時野口線を走行していたキハ2が保存されていました。
ここで1回目の記念撮影を行いました。
更に旧野口駅方面へ進んでいくと途中の川に当時の橋梁を利用した橋が架かっており、それを過ぎると程なく大きく右へカーブ
して旧国鉄高砂線跡の道路と合流。別府出発から1時間ほどで旧野口駅跡に到着しました。旧国鉄高砂線野口駅跡には石碑と
駅名標、それにDT-22台車のモニュメントが飾られていました。
ここから道路に転用された旧高砂線跡を、高砂方面に向かって探訪しました。少し歩くと国宝鶴林寺の公園が有り(旧鶴林寺駅が
隣接)、ここに当時高砂線でも運行されていたC11 331号機が保存されていました。加古川市側の高砂線跡地は加古川駅から
山陽電鉄の下をくぐった先まで道路に転用されていて、ここが線路跡だと言われないと分からないと言った感じです。
(まあ一部当時から建っている廃線跡道路沿いの家の玄関が道路側を向いていないなど、痕跡は無くは無いんですが)
線路跡は山陽電鉄をくぐった後はほぼ山陽電鉄の線路と併走します。山陽電鉄をくぐってすぐのところに尾上駅跡が有り、
ここにも石碑とSLの動輪が飾られていました。ここから先、加古川の築堤までの区間は、レール、枕木、砂利等は撤去されて
いましたが、道床(盛土)部分がそのままの状態で残されて(放置されて?)いました。
廃線跡は人も歩けるあぜ道のような感じになっていて、鉄橋部分には当時の橋桁の上に枕木も残されていて、その上に鉄板を
敷いてありました。加古川を渡る部分は橋脚ごと綺麗さっぱり撤去されていて、当時の面影は一切ありませんでした。
川を渡った高砂市側は廃線跡は遊歩道(一部駐輪場)として整備されていて、家の裏手に設けられた遊歩道ががぜん旧線路跡と
いう雰囲気を醸し出していました。遊歩道は途中から道路になり、少し行くと旧高砂駅跡のロータリーのある広場に突き当たり
ました。線路はここから先、海岸方面に貨物線が当時は延びていて、その廃線跡も遊歩道となっているようでしたが、当日は
とても暑く昼食もまだだったので今回の廃線跡探訪はここで終了することとし、高砂駅跡の石碑の前で2回目の記念撮影を
行いました。
記念撮影のあと昼食を取れる場所を探しましたが、付近には居酒屋程度の店しか無かったために大阪へ戻ってから食事を取る
ことにし、山陽電鉄高砂駅から直通特急で梅田へ戻ってきました。
旧円長寺駅跡、旧高砂駅跡で撮影しました記念撮影画像を掲載します。